東京都議会議員 斉藤やすひろのホームページです。東京・目黒の未来を創るため「すぐ動く。行動第一の51才」です。ここでは、斉藤やすひろの活動を紹介しています。


HOME >> 斉藤やすひろメールマガジンvol.31
斉藤やすひろメールマガジンvol.31
こんにちは。「すぐ動く!」斉藤やすひろです。

今回は改めてこれまで私の経歴を紹介させていただきます。

私は昭和38年、東京・国分寺市で生まれました。親の仕事の関係(旧郵政省に勤務)から転校が多く、北海道(余市町・札幌市・江別市・夕張市)、仙台市を経て、昭和53年の夏、目黒に転入、以来約10年間を目黒区で過ごしました。区立第9中学校に転校後すぐに、9中の代表として区の中学連合体育大会の200メートル走に出場。高校は、明治大学付属中野高校に入学後、ラグビー部(当時は同好会)に入部しました。ポジションは、フルバック。守備の要として、持ち前の足の早さとタックルの強さを武器に活躍しました。

高校卒業後は、浪人生活を送りながら、学費を捻出するため、東急東横線の学芸大学駅で、ホーム整理員のアルバイトもしました。念願叶い、慶應義塾大学法学部法律学科に入学。そこで、友人から「他人のために尽くす人生」の素晴らしさを知ったことが、人生の大きな転機となりました。正義の言論で多くの人を守りたいと、弁護士をめざし勉強に励み、大学の代表として関東学生法律討論会に出場し、見事優勝したことも。

卒業後は、株式会社ロッテに就職。子ども商品への取り組みが評価され、大手週刊誌に「若手のホープ」として掲載されたり、ラジオの生放送に出演したこともあります。

そして平成4年、公明党の北側一雄衆院議員(大阪16区・堺市)の秘書に。北側代議士が国土交通大臣を務めた2004年から2006年まで大臣秘書官を拝命しました。現場第一主義を貫き、肺線維症の難病指定、目黒区の東山にあった国土地理院跡地の問題解決などに取り組みました。

2009年、都議会議員に初当選。この4年間で、東京都自転車安全利用条例の制定、消火栓を活用した応急給水、ハートプラスマークの普及などを実現させました。そして2013年6月、「すぐ動く。東京安全大作戦」をモットーに、2期目の挑戦をしております。

今月15日、50歳の誕生日を迎えました。孔子が論語の中で「50にして天命を知る」と記しているように、改めて「1人の声を実現し、都民の生命を守ることが私の使命」ととらえ、首都東京の未来を担っていく決意です。

SPECIAL THANKS

公明党

東京都庁ホームページ

東京都議会


Copyright (C) Yasuhiro Saito. All Rights Reserved.

Copyright (C) Yasuhiro Saito. All Rights Reserved.